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簡単な話


人差し指と小指は同じ運動をすればいいだけ。


ところがそうではない人をよく見かける。



親指は確かに違う運動が必要だけれど、小指はそのまま人差し指の真似をすれば理想的かと。

右手の人差し指と左手の小指、逆も然り、多少大きさは違うが同じ運動力があるといい。


でも使用頻度が違うし、役割がちょっち違う。
むしろ人差し指より小指の方が強くて独立してる方がいい。
そうなっちゃえば、便利きわまりない。
その為にどうすれば良いかを研究して訓練すればいい。


小指と親指を強くしなやかな筋肉でコントロールできるように、そしてできれば他の指とは完全に分離したい。



すると、本当に便利だし楽チンになる。




と、簡単にいってるけどなかなかこれが大変なわけ(笑)
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最終的に、ピアノで音楽を奏でられてるときには、指や身体のことなどなーーんにも考えないし、使う意識もなくなっていると思います。



自分は、まだまだどうしても、ここまで筋肉を持っていきたいところがあるし、身体の使い方など、本当にまだまだなのでそちらに意識がいきます。
崩したくないので。



イメージとしては、歩くときに足の筋肉を使ってるように、しゃべるときに喉の筋肉を使ってるように、くしゃみをするときに横隔膜を使ってるように、ピアノを弾く際使う筋肉は使われるべきです。
しかし、これは日常にはない特殊な作業なので訓練しないとなりません。



生まれたばかりの赤ちゃんは、首も座りませんし、もちろん、歩くこともできません。
本当は指も、はじめは同じようなものだと私は考えています。

首が座るのに一ヶ月、歩けるのに一年
ジャンプできるまで、着地できるまで、それなりに時間が必要なはず。


ピアノを弾く作業は指で鍵盤の上を歩いたり走ったりジャンプしたり、着地したりするのと同じ感覚だととらえて良いはず。この、基本動作をまずは、マスターしないとなりません。


ところが、足を突っ張らしても、地団駄踏むような動作でも、足をいちいち振りかぶって地面を踏みながらでも、地面を踏んでない足に力をいれながら歩いてるように、鍵盤の上を指で歩かせても特に気にしないままです。
そんな風に無理矢理あるいていたら、身体だって疲れるはずだし、何か不自然。



初心者に一音一音しっかりした音で弾かせるのは、とても絶望的なことです。
いずれどんな音になるか考えるだけでゾッとします。

プレディの教則本の前文にも有るように、むしろ音はでなくても良いくらいなのです。
指が一本の力で鍵盤を押し下げることがどんなに大変なことかを自覚すべきです。
もちろん、指がしっかりしてくれば押し下げる力だけではなく、重さなど色んな要素が合わさってくるわけですが、とにかく力をいれずに、ピアノを発音させるのはそんな簡単にできることではない(個人差があり、はじめから難なくできる人もいます)ことはもっと知られるべきだと思います。


私通っていた大学のピアノ講師、ピアニストの方
芸大を卒業後、ポーランドに留学したのですが、一年間は脱力することしか教えられなかったそうで、そういうはめになるには、日本に昔からはびこる不思議なメソードたちのおかげも、あるのでしょうね


とはいえ、ピアノを楽しみたいとか、それほどテクニカルが必要ではない曲を弾いたりするぶんには、どうでもいいことであったりします。(笑)


大切なのは、音楽なのだから。



ただ、自分の出したいサウンドに近づかせたいけど出来ない理由のひとつには、やはり、こういったメカニックなことが、助けになる可能性は大きいので、研究することはとても自分を助けてくれるものになるはずです。



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そういうことありませんか?



例えばいつも食べてるウニがウニだと思ってたのに、海で自分でとって食べた日には、それまで食べてたウニはなんだったんだー??、もう今までのウニは食べれない~みたいなこと。


どんなものでも言えることで、本物の取れ立てのウニさえ知らなければ、そこらのウニも美味しいと思えたのに、知ってしまったばかりに、もうそれまでのウニが美味しいと思えなくなるとかー。


もちろん、個人差があるし自分がどんなに取れ立てのウニが美味しいと感じても、もしかしたら普段の回転寿司のウニの方が美味しいと言うひともいるかもしれない。
でも、それは別に間違っていることでもなく悪いことでもない。


だから、その人にこっちが本物なんだよ!?と、強く説くのはなんかちがうのかも。



でも、知ってしまったからには、これをたくさんの人に教えてあげたいと思うのは自然なことでしょ?
でも、とても余計なお世話かもしれない。



ただ、ひとつわかっていることは、そんなこと考え出したらなんにもできなくなるということ。


だから、自分は自分がいいと思うことやものを、ただやるしかないのだ。
例えそれが、ほとんどの人に受け入れられなくとも、自分が主観でこれがいいと思うことを選択して、ただやるしかないのだ。。




好きでないことはできない。
いいと思えないことはできない。
違和感のあることはできない。
仕方ない。


ただ強くあれ、自分。
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私は、言葉が足りない。
わかってくれるだろうと言う前提で表現してる気がする。


なので、話が全然通じなかったり、誤解を受ける。
これが、受けとる人により、対処してくださる方と、そのまま受けとる方等、タイプが色々。


数年前まで、私はいわゆる知的障害をもつ女の子とピアノを介して遊ぶ為に週に一度その子の家にお邪魔していた。
耳がいいから、自分で気に入った曲を何となく片手で和声もつけながら弾いてくれる。
とにかく気に入ってるものを、セッションして遊んだ。
本人が見つけられない和音を見つけてあげると興奮してくれたり、とにかくいつも、遊ぶことに徹した。


ほとんどそういうことはしなかったけど、曲を私が弾いてそれを聞いてくれることもあった。



その時、私はとても丁寧にその子の胸に届くように、それはそれは真剣に弾いたのを覚えてる。
自分でビックリした。



普段はね


わかるよね?くらいの気持ちで弾いていることに気付かされた。
ひどいときは、わかってよ


そんな感じで弾いていたんだと思う。



これは、冒頭にも書いたが、普段の会話にもよくあることで、分かりやすく伝えようと言う意識がない。


だから、様々な誤解をうんだり、全然意味が伝わってなかったりする。


これは、とても改善しないとならないことだと痛感してる。
全部、音に出てるもの。


あのこの前で弾いたように、人前では演奏すべきなんだ。
話すときもそうなんだ。


何度も色んな人に忠告を受けたけど未だに、その習慣はなおらない。

宇宙語といわれてしまう原因


日頃からもっともっと気を付けようと、つい最近も思いました。



「あなた、誰?」事件(詳細は省かせていただきます…)

あれはひどかった。我ながら、あとから絶句してしまうものの言い方でした。
てっきり、その人との前後の会話で伝わるもんだと決めつけていて、まさかその言葉をそのまま受け取られるとは思いもせずひどいことをいってしまった。



本当に、反省しております。
ごめんなさいm(__)m
軽く受け流してくれた寛大さに感謝。


とにかく、深刻な問題だ…。


変わらないと。
習慣は変えられるはずだから。



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昔、中学生のとき吹奏楽部にはいり、クラリネットを吹いた。
まともに、楽器として聞けるまでの音を出すには時間が必要だった。
もちろん、すぐはじめからそんな音が出せる人もいるのだろうけど、出せない人は、一年たっても汚い音で、音程のコントロールもままならなかった。


娘が先日まで同じく吹いていたオーボエに至っては、もっと難しい。金管もしばらくは音にならない。



それに比べて、ピアノは猫にでも音が出せる。
誰でもはじめから楽器としての音が出るし、音程も正確だ。

どんな奏法だろうと音になる。

でも、実はここがくせ者なんだと思う。



気づいたときには、すごい癖だらけで取り返しのつかないことになっていたりする。
それを修正するのは本当につらい。


自分だって、あの日、ラベルのスカルボという曲に出会うまではそんなに問題を感じたことはなかったけれど、スカルボを楽に欲しい音で弾けるためにを考えると明らかに奏法を改善しないとあり得ないのが、わかってしまった。


あの瞬発力と軽やかさと、器用さ、正確さに到達したい。
欲しい音や空気や色は明白だから。あとは、テクニカルがついてこないとどうにもならない。



いっそ、自分で作る曲だけ弾いてれば、しなくていいだろう努力だろうに。


なんで、スカルボ弾かなきゃと、思ってしまっているんだろー。
始末が悪い(笑)

そこが、また、やめられないところなのかもしれないけれど。


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ピアノを演奏させていただく場合、色んなシチュエーションがあるわけですが、それにあわせていける幅がもう少しほしいなあと思います。


普通のコンサートでしたら、そのまま黙って曲を演奏すればいいわけです。
そのなかで、MCをいれたり、いれなかったり、またそのときそのときで判断します。


先日演奏させていただいたレストランでは、前もってその日はピアノのコンサートがありますと告知していただきますが、実際それを知らずにフリーで突然いらっしゃる方もいる可能性が大きいです。
そうすると、その方々は食事とおしゃべりを楽しみにいらしてる。
ピアノを聞きに来てくださる方と、そうではない方が混ざってると弾く曲もエネルギーも変わってきます。


そんなときに、臨機応変に現場の雰囲気や広さやいろんなことにもっと順応できる力やレパートリー、リクエストに答えられたりとかどんな風にでも転べるような準備を常にしておけたらなーと思います。


自主公演だと、最近しゃべりがメイン?みたいになってたりしますが、ピアノだけで満足、しゃべってないで次弾いてと、言われるようになりたいなーとか、思ったり(笑)



ま、色々ホドホドで。バランスよくというところでしょうか。
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色んな生演奏を聴いたけれど、すごく感動した演奏で真っ先に思い出すのは、いつもI さんの演奏だ。


かれこれ五年前くらい
私は、ある大人のピアノ教室の臨時講師をさせていただいていた。

そのお教室は、集団レッスンだった。
あるレッスンの日、どういうシチュエーションだったかはっきりは、覚えていないのだが、フリーな時間があったのか、なんか弾いてーっぽいのりになり、Iさんにリクエストが来たのだ。


I さんは、学校の校長先生を定年退職された方で音楽をとても愛してらっしゃったのが、ピアノの音からいつも伝わってきていた物腰の柔らかい、けれど芯のある品のある男性だった。


I さん、こないだ結婚式で弾いた、ほら、あれを聞かせてくださいな

と、仲間の女性からのご指名

そこで、I さんは公民館のボロボロのアップライトピアノに座り、弾き始めた。
曲は、バッハの無伴奏チェロ組曲の確か3番だったと思う。
I さんは、この曲が大好きで、ご自身で耳コピされたのだった。


その演奏は、幻のようだった。

それは、チェロにしか聞こえなかったし、歌心と慈愛に満ちていて神々しかった。
涙が止まらなかったし、動けなくなってしまった。
それは、世界中のどんなプロのプレーヤーにひけをとらない珠玉の演奏だった。


指は、三本ずつくらいしか使っていなかったかもしれないけれど、そんなことどうでもよかった。


いつか、あんなふうに音を紡ぎだしたい。
あの演奏を聞けたことは、本当に宝物、すごく財産だと思う。



Iさんは、その後まもなく急逝され、もう二度とそのピアノの音を聴けることはなくなってしまった。
お葬式では、棺のなかに大好きだったブラームスのピアノ楽譜のページが開かれ納められていた。


たまらなかった。


私は、あんなに大好きだという思いで音楽を奏でられてるのかな?と、よく思う。
I さんは、とてもとても大切ななにかを私の中に、残していってくださった。



あの演奏を聴けたのは、本当に幸せだと思う。

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一昨日は、新所沢のイタリアンレストランでピアノを弾かせていただきました。
ピアノ演奏があることを知らないでいらしたフリーのお客様が大半だったのでさらりと、皆さんの会話やお食事を邪魔しないエネルギーで、始めましたが温かいお客様ばかりで、気持ちよく弾かせていただきました。

ニューイヤーコンサートみたいに、ワルツっぽく三拍子の曲を集めてみました。


セヴラック:ロマンティックなワルツ
ショパン:子犬のワルツ
ハチャトリアン:仮面舞踏会より、ワルツ
リスト:愛の夢
ブラームス:愛のワルツ
ビル・エバンス:ワルツ・フォー・デビー
リチャード・ロジャース:マイ・フェイバレット・シングス
フランク・チャーチル:いつか王子さまが
シモシュ:Mrs. pudding walts



いつも本番前は、朝寝おき一番に、オールプログラムを通してみることを一週間とかやってみたりします。
誰かに教えていただいたのですが、本番の状態は寝起きの状態ににてるらしく、指ならしもせず顔も洗わず寝ぼけたままとにかく弾きはじめます。それでも、弾けるようにチェックします。

あとは、その日の練習頭に、通して録音をとり、チェックします。
突然本番のシチュエーションで、いつも通します。



それでも、自分は弾けるんだという暗示をかける感じ



それにしても、暗譜は苦手だけれど暗譜でも大丈夫というところまで弾きこんでおいた方がやはり、本番楽しいです。
暗譜も習慣だし、サボり始めるときりかないので、頑張らないとなーと思う今日この頃です。



次回は、画家さんのうえしんちえ子さんのサポートですが、実はその日の昼間、ピアノ愛好家さんが集まって行われるピアノコンサートに参加させていただき、スクリアビンの4番のソナタを弾こうと思ってます。
この手の集まりは、本当にピアノが好きな方が集まっていて、とても考えさせられることが多く刺激を受けます。
お仕事音楽してる人には無いなにかをいつも感じて好きです。


楽しみな本番です♪



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前回、バッハを完全にコピーする話をした。
演奏のコピーをする。

これは、師でもあり、ライバルでもある、シモシュ氏に、昔出会った頃から、やってみろと言われてきたことだ。

クラシックの世界でそんなことしてみろと言う先生はいないのかもしれないが、他の世界ではよくある話
ジャズなんて、楽譜がないことが多いから、好きなプレーヤーのアドリブを完コピしたりする。それは、音符やリズムだけかもしれなが、知らないうちに呼吸や温度等ほかの要素も真似しているものだ。


ホロビッツの弾くドビュッシーの人形のセレナーデをある程度のところまでやったことがあるが、ある程度だけでもとても勉強になる。


ふと、思い出したが、小学生の一時期、転校ばかりしていたし、先生も見つからなかったのかピアノのレッスンには、行っていなかった。その時かな、持っていたクライバーンと、ポミエのレコードに入っていた曲のピースを買い集め弾いていたことがある。
その中でもドビュッシーの夢想が好きでクライバーンの演奏を聴いては、楽譜にそこをどんな風に弾くのかひらがなで、書き込んで真似していた。今でも残っていて、そこには、間の取り方や、ためらいながらとか書いてある。ためらいながらって(笑) 


クライバーンのレコードには、エリーぜのために、別れの曲、月の光、トルコ行進曲、ブラームスの愛のワルツ、愛の夢、ラフマニノフの鐘、チャイコフスキーの舟歌、子犬のワルツなどが。
ポミエのレコードには、同じくエリーゼのために、メンデルスゾーンの紡ぎ歌、春の歌、誰かのメヌエット、ダガンのかっこう、乙女の祈り、ベートーベンのエコセーズなどが。


クライバーンは、ロマンチズム満載、ポミエは軽やかキラキラ感が満載で、見事に対照的だった。
とにかく二人とも良い音だった。私の出したいピアノの低音は今でも、基準はクライバーンだ。軽やかな16分音符はポミエのそれなんだろう。

この二人の演奏を聞きながらとにかく近付けることを目標に弾いていた。
レコードを繰り返し聴いては、弾いていた。
小学三年生か、四年のとき、音楽の先生に質問したこともある。
その、誰かのメヌエットの、カデンツァが、どうしてもレコードみたいにできないから、この部分はどうやって弾くの?と、ききにいった。なにかしら方法が有るんではないか?と思ったものでね

でも、先生はこのまま楽譜通り弾けばいいのだと言う。弾いてくれたが、ポミエとは全然違ってがっかりしたのを覚えてる。ま、ポミエのあの音色で軽やかにカデンツァをサラーッと、降りきってしまうのをそこら辺の先生にできるわけもなかったのだが、なにかしらトリックが、あるのかも知れないと思ってしまったのさ(笑)


今から思えばあのときのピアノの師匠は、クライバーンとポミエだった?

すごいな(笑)

録音機器は、持ってなかったから自分がどんな風に弾いていたかはわからないが、子供ながらに頑張って真似していたのだろう。
指はハチャメチャだったに違いない。ろくに動かないのに無理矢理弾いてたおかげで、要らぬ癖をたくさん付けた。


子供の頃になにげにコピーもどきをやっていたらしい(笑)できていたかは、置いといて。
でも、その影響は必ず今の自分のピアニズムに何らかの軌跡を残してるに違いない。

というわけで、あの、ソロコフのバッハを10感?使って真似してみよう。
する前と後では、また、自分が新たに進化をとげてるはずだから。
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http://www.youtube.com/watch?v=5BrcWplvGJY&feature=youtube_gdata_player

先日、知り合いのピアニストがあげてくれたこの映像
これが、べラボーに気に入ったので、この曲をこんな風に弾くことにした。


これと全く同じに弾くのがみそ。
もちろん、そんな簡単にはできません。五感を、いや10感ほどフル稼働しても、できないかも知れません。
でも、やるの。


今まで、バッハ弾きたいなどと思ったことは無かったけれど、これを聞いてバッハを弾きたいと生まれてはじめて思いました。

今が私がバッハ勉強するタイミングなのかな
いや、今と言うよりこれから死ぬまで日々の課題なのか。


大学の頃は、超現代曲に魅せられた。管楽器の伴奏ばかりしてたのでその手の曲が多かったし、当時大学で可愛がってくれていたソルフェージュの先生が、仕事するならこの手の曲が弾けた方が需要があるからと現代曲のレッスンを夕方すべての授業のあとしてくれた。これ、えこひいきだね(笑)
ブーレーズのソナタの楽譜まで買ってしまったし、管楽器の超現代曲譜読みも、助けていただいたりした。今、それ見るとどうやって弾いていたのか記憶にないし、二度と読みたくないようなものばかり。


出会いで、これ勉強したいと言うタイミングって自然にやって来るのだろうな。


今の師匠の藤田雅さんに、出会ったときあまりにモーツァルトがモーツァルトだったので、モーツァルトに出会ってしまった以上、モーツァルトをやらないわけには、いかない。すっかりモーツァルトな日々を送った。


そして今回、この演奏に出会ってしまった以上、バッハをやらないわけには、いかない感じ(笑)


モーツァルトも、バッハも取り組む日なんて来ないと思っていた。
特に、モーツァルトはコンプレックスの塊だったしな。
でも、今は大好き。雅さんは、私がこれだと思うように演奏してくれるので具体的に目の前で見せて聞かせてもらえると言うのはとても有難い。それは、どんなピアニストより、CD よりモーツァルトだから。


こんな風に、そのうち、うわーっ!ショパンが、シューマンが、シューベルトが弾きたいと思えるような演奏に出会えるのだろうか?(笑)
全くずっと、興味のない作曲家たち…。


楽しみです。

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http://www.youtube.com/watch?v=bscXLHFLG1E&feature=youtube_gdata_player

このピアニストが、音大のときに客員教授として毎年いらしてた方


履歴はよく知らないけれど、ブゾーニコンクール優勝とか、ショパコンとかあちこちのコンクールの審査員をされてるとか、今はローマのサンタチェチリア音楽院の学長だとか、ハチャトリアンのコンチェルト初演したとか・・。それくらいしか知りません。


初めてレッスンを受けたのは、二年生の秋
持っていったのは、ショパンのop. 10-4と、リストのタランテラ

まず、ショパンを弾いたあと、はじめに彼は、あなたには、とても音楽があると前置きし、リズムのことを指摘したはず。結局、卒業するまで、毎回、リズム、リズムっ!と、叫ばれていた気がする(笑)
そして、その初めてのレッスンの終わりに、来年の夏にザルツブルクのサマーセミナーの自分のクラスに、来ないか?と、私に言った。それは、私の音楽人生に多大な影響を与えることとなる。


彼は、レッスンの他でもピアノ奏法や、脱力、指の独立などの授業をしてくれた。その時は、大勢の前で指ガチガチを披露した記憶がある。とにかく、ピアノを弾くシステムでも書いたように自分は何か違うということだけは、はっきり自覚した。

翌年の夏のことは、また別の機会に書こうと思う。


決定的に、全然自分がダメだと認識したのは翌年のプロコフィエフの3番のソナタのレッスンを受けたときだ。
彼は、すぐなんでも弾いて見せてくれた。
Coda の左手のパッセージで、まざまざ見せられた左手の小指の強靭さ
どんなに飛んでも早くても黒鍵でも、正確に、しかも楽に脱力してるのに捉え着鍵するその様子はショックだった。


自分の指たちのひ弱さに死にたくなった。
でも、それを見て指を本当に一本ずつバラバラに強くしないと脱力なんてあり得ないのを瞬時に察知した。
理解した。目指すところが明るくなった。


それは、いまだに続いてることだが、その当時とは比べ物になら無いほど今は楽だ。大体、どうすればそのパッセージが弾けるのか、そのためには何をすべきかという方向はわかるくらい、指と体のことは理解してる。えーと、だからその当時に比べたらの話ね(笑)



ペルちゃんには、もうひとつ教えてもらったことがある。
ffだ。
しかし、まだ納得行くようにはできないが、彼は、どんなに鳴らしても耳が嫌がらない音をしてる。それは、師匠とは違った。実は、当時の師匠を私はとても慕っていたし、信仰していたがffだけ、なんか違うと思っていた。でも、師匠だけではない。たぶん、日本じゃ、あれが、主流だったのかもしれないから。

ちなみに、今の師匠の藤田雅さんも、ジュリアードにいるころ,日本人離れしたffだねと、言われたことがあるようにどんなに鳴らしても、すぐそばで聞いていても全く耳が嫌がらない。
たぶん、少しでも硬さが体のどこかにあるだけでそういう音にはならないんだと思う。
いずれは、私もあれがいいな(笑)


強靭でしなやかな、筋肉がほしい…。


こんな音が出したいと思ってるだけであるところまでは行くけれど、それだけでは本当に理想のところには届かない。
想いだけで、音楽になるけれど…。


彼に出会って、それまで気持ちだけで持っていっていた自分はしばらくは、テクニックにこだわることを決めたのだ。いつか必ず理想のところまで持っていく。それまでは指優先。誰に何を言われようがだ。


最後にレッスンを受けたのは、9年間のブランク明けの確か9年か、10年前くらいかな
今年、企画してるイベントの頃、もしかして在日してるだろう。
もし、それより前なら、久しぶりにレッスンでも受けてみようか。


そんな節目の2012年となる。
もう、80歳越えてるのかな
元気に、今年も来日してくれることを信じて!

というか、まだまだ元気そうです♪


余談ですが、一度私の手相を見て、お前は複雑な性格と言った。
正解でした(笑)





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私の生まれてはじめて聴いたピアニストは、ヴァン・クライバーン

そのあとで手にいれたレコードが、ジャン・ベルナール・ポミエ



この二人の珠玉の名曲集ばかりを音大に入るまで聴いたのみ・・・。
あとは、カラヤン・ベルリンフィルの、ベト5とドボルザークの新世界、クレンペラーの、真夏の夜の夢とか、誰かのメンデルスゾーンとチャイこのバイオリンコンチェルトなど聞いていた。あとは、ラテンから、ポールモーリア、南こうせつ、スクリーンミュージックに、グレンミラー、ハワイアン、山口百恵、そしてYMO ・・。


クライバーンのリスト

指揮ふるポミエ


ピアノはこの二人しか知らなかったが
今から思うと、この二人で良かったと思う。


完全に刷り込まれてます。
この二人、タイプが偉く違ってるのだけれど、私のルーツかも知れません。


子供ながらに同じエリーぜのためにを真逆に弾いてくれて、先にクライバーンで刷り込みがされてるから、ポミエ違うしっ!など思ったものだ。

音色も全く違う二人で、レパートリーも違うのだろう。
もう、二枚とも手元にないのであまり、覚えてないのだが印象は残っている。
そのあと、いろんなピアニストを聴いたがクリアに音が浮かんでくるのは、この二人だろうか。


グールドが、どこかの本でクライバーンをいいピアニストといってたのを読んで喜んだ(笑)


あの二枚のレコード、どうにかして手に入らないだろうかな




もし、生まれてはじめて聴いたピアニストがあの人で、次に聴いたのがあの人だったとしたら自分の音楽は全く違うものとなっていたのだろうか?
興味深い。














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http://s.webry.info/sp/kantakupiano.at.webry.info/200603/article_12.html

http://s.webry.info/sp/kantakupiano.at.webry.info/200603/article_11.html


こんな記事を見つけて、早速友人に意見を求めた。
だって、ぶったまげたから。



つくづく、人は何を聴いて何を見ているんだろう???

誰かの演奏のどこを聞いてるんだろう?????

私は、こんなの聞こえたことない。聞いたこともない。



その友人が、なるほどなーという話をしてくれたので勝手に引用しますが(笑)、今、これを読んでる皆様、今何が聞こえてますか?
いろんな種類の音、聞こえてますか?


その一つ一つに意識を移動させると聞こえてくるものが変わりませんか?


と、言うことを私も友人に試され実感したのですが、要するに意識で、人間の耳は聞こえてくるものが変わるということ


これを書いた人は、この雑音が聞こえるのだろうけど、はたしていろんな人の演奏をこの雑音の有無で判断したり、演奏会でまずは、それを聞くのだろうか…。
自分にはそんなもの聞こえないけど、気になりだすとそれしか聞こえなくなったりしないのだろうか?




さて
自分は、人の演奏の何を聴いているのだろう?とか、考えたとき、実は耳を使ってはなにも聞いていないのかもしれない。たぶん、聞こえないものしか聞いていないのかもしれない。


どうしても、まず、どんな人物像なのか、どんな風に音楽に向き合っているかとか、音楽を司ってるあそこに繋がってるかとか、音楽に従順なのかとか、自分が前面に出てるのか、どんな鼓動で、どんなグルーヴで、どんな重力かとか・…

どんな風に、アーティキュレーションつけてるとか、音量とか、やったことある曲ならまだしも、楽譜に書かれてることとか知らないし、そんなとこ聞けないし・・・



感覚でしか聞いてない気がする。


あー、もう少し耳を使えるようになるといいのかもね、自分

などと、思ったりしました。
ま、無理せず(笑)



あー、そうだ!


ピアノに関して言うなら耳を使うと聞こえてくるのは、指と体と音の関係がわかってしまうかもしれない。
どの指が弱いとか、これが原因でそこが弾けないんだろうなーとか、ここつかったら、もっとこういうおとだせるのになーとか(笑)

すごく性格悪いね(笑)
きちんと聞こえてきてしまう。



うーん、やはり、ピアノで表現したい人のトレーナー的なポジションが似合うかもしれない自分… 。


人間は耳が、キャッチする音をどこで聞くか
脳で聞いてるのだろうけど
もっと違うとこ使ってるのかも

難しいことは、わからないけど面白いね


私はとりあえずこのサイトの文章にあるような音は聞こえなくて幸せだと、思いました。そんなもの聞こえたら気が狂うもの。


自分がたまちゃんを弾いてるときは、その音の美しさに耳をとられてしまうから、やはり、たまちゃんで演奏してると言う日常は耳を使えるようになるためには良かったんだなーとも、思いました。
体がそこを基準に、どこのピアノでもそこにいきたくて、勝手に体が耳の記憶に従順に働いてる感じがする今日この頃です。
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最近出版されてるものは、あまりリサーチしていないのでほとんど知らないです。


いわゆるエチュード本なのですが、私が子供の頃はやはり、バイエル、ツェルニー、ハノンなどがあったかな。
私は声楽出身の方についてたので、そういう王道の物しかやって来ていません。


最近はものすごくたくさん色々な種類のものが出てますね


大学のとき、奏法を改革することに決めたとき大学の図書館でテクニカルに関する本を片っ端から読みましたが、これは嘘っぱちなものから、素晴らしいものまで色々ありました。


その中で、ピンと来てとても参考にしたものは、ランゲンハーンのこれ
http://www.amazon.co.jp/gp/aw/d/4118100606

指の見えないところの仕組みが書いてあります。
音符より、文字の方が多いくらいですが、今思うと、この本の前に、もう少し入りやすいビギナー的な本が必要かもしれません。かなり、突然高度だし、使い方間違えると手を壊す可能性も否定できません


それを言うなら、ブラームスの51のエチュードも、ピシュナも、やり方間違えてたらなんの意味も無いでしょう。

私も見事にブラームスのエチュード、一年間弾けていても、それは全然間違っていたから。


ただやみくもに弾きまくっても全く意味がないのです。



矛盾しているかもしれませんが、フィンガートレーニングやこういった部類のエチュードをやるに辺り、一番大切なのは、どういう音が出したいかが、クリアになっていることだと思ってます。


だって、ガチガチの硬い音が好きなら、別にそれらを力ずくこなしてるだけでも問題無いのかもしれないからです。
現に、世間では、そういうサウンドが好きでそういう音を出してるピアニストは山のように活躍してますし、それは、その人が、それを正しいと信じ、好きで出している音なのだろうから。



好き嫌いで言うなら、私はドビュッシーがもっとも好きな作曲家ですし、生涯彼の作品は弾き続けるつもりなので、彼の作品を自分の出したいサウンドにするためには、自分の身体には、何が足りないのかを分析してクリアにしていき、そこを補っていく方法を見つけるしかありません。
それは、少なくともやみくもに力でエチュードたちをバリッと弾けるようにすることでは有りませんでした。


そして、次に出会った、プレディーのエチュードの前文に、これだってことが具体的に書いてありました。
理屈だけのべるなら、どの指もその一本の指だけの力で高速連打がppppから、 ffff までできて、いつでも指の間の筋肉は弛緩してて、しなやかで瞬時に伸び縮みでき、全身の瞬発力や重さを各指一本で力をいれなくても支えられれば良いわけです。親指だけ特殊な運動機能が必要ですが、他の指はみんな同じ運動で良いわけです。

究極理屈だけならそれで指としての機能は良いはずです。


そして、今度は手首や肘、肩、腹、腰、足、全身の使い方がからんで、様々なサウンドが生まれてきます。
一口で説明できるほど文章にする能力は無いのでここでは、書きません。

それらを司るのは、脳です。


こんな風に書くと誤解を受けそうですが、もう一度言うと、一番大切なのは常に、どんなサウンドが作りたいかにつきます。それがないなら、フィンガートレーニング等、しなくて良いのです。

それから、ある程度の難易度の曲は、感覚だけでそのサウンドや空気が表現できるのも事実です。


自分は、やはり、絶対にドビュッシーなら、この音でこんな風にという理想がはっきりあり、そのためにこの指のままではそこに到達は無理だということが明らかだったから、そこを目指している最中です。

以前、ピアノを弾く仕組みのところにも書きましたが、どうしても表現したい音楽があったから、それまでの奏法を全く棄てて、一からやり直すことを決めたのであって、それがなかったら、できません。
正直、辛いです。
それまで弾けてたものが全く弾けなくなるし、しばらくは全然思い通りにはなりません。
嫌になります。

それでも、その先に必ずや自分の目指すところに行けるはずだと、信じてやって来て、やっと最近、ずっと目指していたある段階のところに、来たのでとても嬉しいです。まだまだですが。


それにしても、たまちゃんにあったとき、そのくせ者ぶりに触れ、あー、私が長年築いてきたテクニカルは、この子をコントロールするためだったのかもしれないと思いました。とても、相性が良い。


私の目指しているところや方法は、日本で行われてるそれとは、違うところが多々あるかもしれないけど、関係ありません。

やはり、最後には指のことなど何も考えることなく、指の存在を忘れてしまうくらいになってサウンドや色や空気や匂いや、音楽のことだけ集中してれば良いところに持っていきたいです。



とにかく、どの曲においても、自分の絶対に出したいサウンドのためだけに、鍛えないとなら無いことが山のように有ります。


イチローみたいに、室伏広治みたいに、徹底的に研究して、鍛練しておいて、本番にはただ、音楽だけが存在してる舞台を作り上げていきたいです。

まだまだ、先は長いけど。




そして、結局、方法や奏法なんてどうでもよくて、自分の音が出せるようにさえなれば、それを否定されてもどうでも良いと思ってます。


まだまだ、進化していきます。
進化できる余地があるのは、幸せなことなんだろうしね


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http://blogs.yahoo.co.jp/pianodaisuki119/1778834.html

このblogの主が私のピアノ椅子を作ってくれました。
椅子の名前はあがき椅子です♪

正式名なのかは、知りません。(笑)


ピアノは、そもそも西洋のでっかい男の人サイズで作られてるはずなので、私のように、ちびで華奢でか弱い?女子には、なかなか楽に強靭で豊かな響きを出すにはちょっと無理があるはずです。膝下の長さとか、どう考えてもあの人たちとは違うので、それを補おうと研究され作られた椅子を私は、使ってます。



いかに脱力して重心を安定して取れる椅子と、なってます。


使いはじめて一年半たつのかな?
今では、他の椅子に座ってもその重心が身に付いてるので力むことがありません。
なんせ、音が違う。


最近、発見したのですが、私は小学校6年生と中一の子にだけピアノレッスンさせていただいてるのですが、この二人の足の形が面白い。普通の椅子に座ってたらあり得ない形になってるんです。



なるほどねーって感じです。
本人たちはもちろん無意識。
でも、二人とも同じようになってます。


もちろん、大きくて膝下も長くてとか、体格によってはこの椅子は意味がないのかも知れませんが、少なくとも私はこの椅子になってから、ピアノは胴回り、なんというか体の中心でピアノを弾いてる感覚になりました。



日本中に、良いピアノとこの椅子があればピアノ文化もずいぶん変わるんだろうなーと思います。
広めたいですね
このアイテム


腰痛、肩凝りも変わるはず。



そこの小さい女性
この椅子、とてもおすすめです。


興味のある方は、是非とも連絡してみてください。
リンクも貼らせていただいてますよ

どらちゃんから、聞きましたと伝えていただければわかると思います♪



または、たまちゃんを弾きに来てくださいね

体感してみてくださいませ

損はありません。
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自分で企画するコンサートなどの企画名は、いつもP -paradise です。


これは、ひとつの思想なんだけど

Piano play するってだけではなくて、そこにはカテゴリー分類のところにあるようにいろんな要素が紛れ込んだものとなってます。


私は、作詞作曲もするのでそこには、poem があったり、その場はparty だったり、philosophy を語ってみたり、picture やpaint が飾ってあったり。


そんないろんな要素のつまったparadise を提供できたらなーとか思ってます。



私は、どんなに残酷で悲しいことがあっても、やはり、世界はparadise だと思ってます。
そうするのもそう感じるのも自分次第




このblogでは、カテゴリー分類にあるように、poem なんかもたまには載せてしまおうと思ってます。


以前、ピアノ曲を演奏する前にその曲から、インスピレーションを受けて書いた詩を朗読したりしたこともありました。その世界に入るためのひとつの手段だったりしましたよ



でも、本当はその言葉たちが邪魔だなと感じるくらいの音を出していかないとなりません。
本当は曲の解説も不要だと思ってます。

だってその音楽をどう感じるかなど聴く側の勝手ですしね
むしろ、言葉はインスピレーションの自由を奪ってしまうこともあります。


演奏する側は、音だけでそこを、ものすごく刺激できないとつまらないです。少なくとも自分はそうあるべく努力していきたいな



大体、この世の中情報量がありすぎる。



人間の感覚のところを刺激していけるように活動していけたらと思います。
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今年は、音大を卒業して即結婚子育てで活動休止後、ピアニスト復活を誓ってからの集大成の年にします。


昨年は、たまちゃんが、私のところにやって来ました。
たまちゃんは、私を選んでやって来ました。


昨年の今頃、私はそれまで練習室として使っていたスーパーハウスと、YAMAHAのグランドピアノを手放さないとならない窮地に落ちました。スーパーハウスを置かせてもらっていた土地代が四倍になると言うのです。
そこで、母は自分のマンションの一室を防音工事して、私に提供してくれることを提案してくれました。もちろん、私がお金を払うのだけど…。


そこで、信用できる専門の業さんを紹介頂き部屋を発注しました。

ところが前の年の年末から、エコポイントの関係で防音資材が出回らず、工事は一向に着工されないまま、あの未曾有の震災が起きたのでした。
その時、工事の着工の可能性が打ち消された気がして私はその工事を、全くの白紙に戻してしまいました。

ちょうど、同時に消音器付きのツイメルマンのアップライトを無期限で預かってもらえないかと言う話が舞い込み、私は思いきってスーパーハウスも、グランドピアノも手放し、一度リセットすることにしました。
しばらくは消音して、そのアップライトで、練習しよう、そのうちどうにかなるだろうと思いました。



そんな風に自分で話を進める中、母はどうにか防音工事をしようと自分で業者を見つけて、見積もりをとっていました。
防音してもグランドピアノは、無いというのに。
でも、母からすれば防音していれば私を家に縛り付けることができるし、老後一人でいるくらいなら、私がそこで、ピアノ教室でもやれば、通ってくる子供たちにお菓子でも出したり気が紛れることを算段していたようです。


そこの見積もりは、なんと始めに頼んだところの約半額での工事でした。


はじめの業者を頼んだとき、私は新しくピアノを手にいれることはもうしばらくは、無理かもなと諦めていました。それくらいの借金抱えてしまうことになるから。
ところが、その半額となると、その半額が浮くわけです。



その金額を見たとき、数年前に出会ったある一台のピアノを思い出しました。知り合いのところに有った破格のニューヨークスタインウェイが、ちょっとプラスで買える…

その時、はじめて突然スタインウェイを手にいれるというアイデアが浮かんでしまったのです。
もちろん、心のどこかでいつか手にはいることは、疑ってはいなかったけれど、それは、まだずっとずっと先のことだと感じてたのです。でも、まさか今、そんなことできるという風には思ってませんでした。


けれど、閃いてしまったらもう止まりません。次の日そのニューヨークスタインウェイに会いにいきました。

しかし、以前出会ったときのようなトキメキを感じませんでした。

なので、別に急がなくても同じような金額で色々探しても良いのでは?と、考えを変え、その日ネットや電話、あらゆる手段で探したのです。

でも、その金額で流通してるはずもなく、どこでも100~200万オーバーでした。

そんなとき、震災の影響なのか、期間限定割引で、たった一台予算より50万オーバーほどで、みつけたのです。そして、次の日友人に、車を出してもらいその子に会いにいきました。



それが、たまちゃんだったのです。


たまちゃんは、そこに並んでいた他のもっと高いスタインウェイや、ベーゼン、どの子よりも存在感のある音で、あちこちでピアノ試弾しまくり、本人もスタインウェイのB をもっているその友人もこれは、すごい!と、一目惚れ。
姿もマホガニーの、チッペンデールで美しいたたずまい。

即買いしました。




こんな風に、うまく物事が進まないような感じだったけれど、開けてみればすべてたまちゃんに、出会うためにだけ、うごいていたのかもしれません。たまちゃんとの、出逢いはドラマチック。


日本中が悲しみに包まれていたころ、私は、自分にまさに吹いてきている風に、身震いしワクワクしていました。


この大晦日は、たまちゃんに、ありがとうをたくさん言っちゃいました。胸が一杯になりました。たまちゃんが、来てくれたから、乗り越えられたこともたくさんだった気がします。

たまちゃんに、出会えたということは、自分はたまちゃんに、見合うべきなんだと思えました。自分に自信がわいてきます。たまちゃんに、恥ずかしくないようなピアノ弾きにならないといけないと、身が引き締まりました。練習するときの姿勢が変わりました(笑)


本物の、ピアノを持つということがどう言うことなのか実感しました。


また、最近別のピアノマニアが、これまた掘り出し物の、プレイエルを手にいれてくれたのですが、こんなにキランキランな明るい響きのピアノも弾いたことがなく、感激しました。
先日弾かせてもらい、その時も、もっとうまくなりたいと思いました。
素敵な人やものに出会うと、人は自ずと向上心がわく生き物なのではないかな


できることなら、まだまだ若い、子供らや中学生にこういう本物のピアノをさわらせてあげたいと深く思います。それだけで日本の音楽を変えられる気もしてます。

こちらは友人の録音スタジオ
素敵なスタインウェイのB での録音ができます。
http://www.xymox-jam.com/studio.html

私のたまちゃんは、30分1000円で貸出し中。試弾は、いつでも受け付けてます。
良かったら、遊びに来てくださいね


 
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わたなべよし美

Author:わたなべよし美
のらピアニスト わたなべよし美です。どらと呼ばれています。
バツイチで可愛い子供達が3人います。



相棒は、1938年生まれの、Steinway & Sons 、マホガニー、チッペンデール仕様の、美しい子
名前を、猫脚のたまちゃんと言います。


好きなものは、石、鳥、ラーメン、湯タンポ、樹、着物
得意なことは、おしゃべり、営業
好きな作曲家は、ドビュッシー、モーツァルト、ラベル、セヴラック、プーランク、バルトーク、ストラヴィンスキー、バーバー、ギロック、アンダーソン....etc
苦手なことは、じっとしてること、落ち着くこと、黙ってること

人生は思い通り
ワクワクハラハラドキドキ楽しいです♪

一緒にいると、かなり鬱陶しいタイプですが、刺激の欲しい方には是非おすすめです。

こんなわたなべですが、どうぞよろしくお願い致します♪

 













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ま、そんなに使ってないけど(笑)

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